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まるいうろこ
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プロフィール
そま(ちょまと名乗ることもある)
♀/学生

趣味:読むこと、観ること、聴くこと、書くこと、作ること、等。
ほとんどが下手の横好き。

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――すぎたことはみんな箱のなかに入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?

昔、葉子は”骨ごと溶けるような恋”をして、その結果草子が生まれた。
草子の父親である「あのひと」は、必ず戻ると約束して去ってしまった。
神様のボートに乗って「あのひと」を待ち続ける葉子――。

あとがきに「これは狂気の物語です」とありますが、その通りだと思いました。
「あのひと」のいない世界に決して馴染もうとしない葉子。
「愛されていた記憶」を持っているからこその態度なのだろうけど、それってそんなに信じていいものなんだろうか。

ちょっと結末に触れた感想を書きたいので、続きは隠しておきます。

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+++

『世界で一番優しい音楽』(小沢真理著、講談社漫画文庫)を読んだ時にも思ったことなのですが、
「確かにかつて愛されていた」という記憶を持つのって可能なんだろうか。
一時的には可能かもしれないけど、その記憶はずっと効果を持続させることができるんだろうか。

でも、もし可能なら、それってすごい。
そう思いながらこの『神様のボート』を読んでいたので、結末は何だか裏切られた気がしました。
ずっと神様のボートに乗っていてほしかった。
神様のボートにずっと乗り続けていることが可能だってことを証明して欲しかった。

この結末では、なんの答えにもなっていない気がして。
小説に答えを求める私の態度が何か間違っているのかもしれないけれど。
でも、これじゃあ、「もし『あのひと』に会えなかったら葉子はどうなってたんだー!」っていう疑問が私の頭から消えない。
神様のボートにずっと、ずーっと乗ったままでいることは可能か?
これの答えが欲しかったのです。

というわけで、結末以外はとても好きな作品です。
結末が悪いってわけでは決してないです。これも確かにひとつのゴールなのだと思います。

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