忍者ブログ
まるいうろこ
どうでもいいこと垂れ流し。
当ブログについて
書きたいことを書いているだけの自己満足ブログ。

メインは読書記録。

携帯では動作確認してません。


↓応援中↓
子供たちに素敵な本との出会いをプレゼントしよう!

↓参加中↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
プロフィール
そま(ちょまと名乗ることもある)
♀/学生

趣味:読むこと、観ること、聴くこと、書くこと、作ること、等。
ほとんどが下手の横好き。

気になるけど手を出せていないもの:
鉱石、ドール(PFが欲しくてたまらない)、豆本、演劇鑑賞、もうちょい本格的な手芸、等。

ご用の際はメールフォームか下記のアドレスへ。
chomast☆gmail.com
(☆→@)
ブログ内検索
くる花
グリムス
アクセス解析
[261] [260] [259] [258] [257] [256] [255] [254] [253] [252] [251]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 (前略)あのときのわたしは、たぶん世界で一番幸せな女の子だった。そんなのは安っぽい少女の思い込みだと言われれば、まさしくその通りなのだろう。否定するつもりはない。確かに安っぽい思い込みだろう。少女の幻想に過ぎないだろう。それでも、今もはっきりと思う。あのとき、わたしは世界で一番幸せな女の子だったのだと。

感想を書く順番がかなり前後しますが、読後感ができるだけフレッシュなうちに。

死んでしまった恋人、加地君に毎晩おやすみを言って玄関で眠る奈緒子と、奈緒子の現在の恋人、巧君の視点で、交互に「加地君がいない今」と「加地君がいたあの頃」が語られていきます。
「恋人の不在」が軸になっている物語はいくつか読んだけれど、この物語は例えば『神様のボート』(江國香織著、新潮文庫)とは決定的に違う。「愛されていた記憶」が揺らぐ要素がある。
加地君が死んだとき、バスの隣の席に座っていた女の子。
奈緒子とは全く別のタイプの女の子。

加地君がその女の子と何もなかったにしても、”決定的瞬間”に隣にいたのが自分ではなく別の女の子だというのは、それだけでとてもつらいことだと思うのです。
例えばその女の子にも恋人がいて、加地君とその女の子がお互いの恋人について語り合っていたとしても、そんなことはもはや関係なくて、自分が愛されていたか裏切られていたかなんて関係なくて、”そのとき隣にいたのは別の女の子”という事実だけでもう苦しい。と思うのです。
「愛されていた記憶」が確かにあったとしても。

そんな「加地君との思い出」を抱いて奈緒子はどう生きていくのか。

奈緒子の家出したお父さんとか、妹とか、お母さんとか、あと巧君のお姉さんとか、山崎先輩とか。
色んな人が色んな事を考えて色んな行動をとって、それが他の人の行動にも少しずつ影響を与えていきます。
お父さんがとっても素敵です。
お父さんとお母さん、どっちかが夢を諦めないといけない、っていうのは、まぁよくある話なんだけど難しい。
巧君が考え出した方法が上手くいくといいなぁ。

拍手

PR
COMMENTS
お名前

タイトル

メールアドレス

URL

コメント

パスワード
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
copyright(C)CHOMA All rights reserved.

忍者ブログ | [PR]
| Skin by TABLE e.no.ch